最大震度7を観測した石川県の「能登半島地震」。災害関連死を含め、500人以上が亡くなった。被災地では、元の生活を取り戻せない人たちも少なくない。今年1月1日に発生した震災から1年を迎える。そこで得た教訓を改めて考えたい。

発災から1週間後、筆者は、JNN取材団の一員として、震度6強の揺れに見舞われた能登半島の先端・珠洲市(すずし)に現地入りした。

石川県珠洲市 2024年1月8日撮影

木造家屋が屋根から崩れ落ち、水分を多く含んだ新雪が覆いかぶさる。あまりの悲惨な光景に、被災者にどのような声をかけたらいいのか言葉を失う。道路のアスファルトはそこら中で砕け、液状化により広範囲で断水。いまもなお、復旧していない地域は多い。

個人的に苦労したのは、避難所の「水洗トイレ」が使えなかったこと。道の駅のトイレでは、小便・大便が溢れ、異臭が漂っていた。無造作に転がるトイレットペーパー。身体から何も出したくない。劣悪な環境を前に、食欲が減る一方だった。

どんな非常事態でも、必ず我慢の限界が来る生理現象。家族や親戚が集まる正月だからこそ、「災害用トイレの備え」が必要だ。