被爆直後の焼け野原で、牛乳が配られたことを忘れられないという被爆者の女性が、80年越しにチチヤスに感謝の気持ちを伝えました。

被爆者 島田栄子さん(94)
「80年前にチチヤスの牛乳を飲ませて頂きまして、80年ぶりのお礼でございます」

チチヤス本社を訪れたのは、広島市南区に住む島田栄子さん、94歳です。

島田さんは、被爆当時、広島市西区東観音町に住んでいて、自身は動員先にいてケガをしなかったそうです。

被爆者 島田栄子さん(94)
「観音橋の西詰でトラックを止めて、そこで配られたんですよね。空き缶やらお鍋やら、焼け跡で拾った器に入れて、それを運んで、死にそうな人に飲ませてあげた。みんなにね。自分も頂きました」

チチヤスの記録には、被爆当日から、救護所などに牛乳を運んだことが記されていますが、配った場所についての詳細までは残されていません。

チチヤス 久保貴義社長
「こちらの方が、お礼を言いたいぐらいですよね。ここにいた人間がそうやって皆様のためにっていうことで運んでたっていうことを、すごく誇りに思う」

当時の嬉しい気持ちがずっと心に残っているという島田さん。今も、スーパーでは、チチヤスの牛乳を選ぶ、ということです。