“治すのが仕事 殺すことではない”

ただ、アルビノ襲撃について話をふると、強く非難する言葉が返ってきた。

「そんなのはカネに目のくらんだ奴らがやることです」
「我々、伝統療法士のやることではありません。そんな医者がいたら、私が拘束して資格をはく奪します」
「邪悪な薬を使ったら、その人間はもはや医者ではありません。我々の仕事は治すことです。殺すことではありません」

なぜ“アルビノの体に超自然的な力がある”という迷信が生まれたのか、彼らは具体的にどんなことを信じているのか、と聞いても「私にはわからない。そう信じている奴らを捕まえて聞いたらわかるんじゃないですか」と回答を避けた。知らないはずはないと思うが。

ムトンガ氏は“よそ者がやっていることだ”と印象付けたいようだった。「他の国からやってきて、人々をカネでそそのかして襲撃させているんでしょう。でも我々、ザンビアの伝統療法士はそんなことはしません」と。

しかし直後に「他の地区ではあるかもしれませんが、ここルンダジでは、ありません」と、若干トーンが落ちた。

では、貴方や伝統療法士協会はアルビノ襲撃を止めるために何ができるんでしょうか?

この問いを投げた時、私が想定していたのは、例えば“啓発活動を行っている”“怪しい動きがあったら通報するよう会員に呼びかけている”といった回答だった。

ムトンガ氏の答えは私の浅はかな予想をさらっと裏切った。
「薬をあげましょう。アルビノの人たちを守る薬を」

なるほど、そう来たか。インタビューを終えた後、薬の準備が始まった。

縫い針くらいの長さの針を木製?の土台に刺し、それにカミソリをとりつける。
何か飲料が入っていたと思われる青い透明なペットボトルから赤茶けた粉末を振り出し、その上に別のペットボトルからもう少し粒の粗く色の薄い粉をかける。

アイスクリームが入っていた平たい容器を開け、中に保存されている複数の包みから一つを取り出して開き、出てきた黒い粉を加える。それらを指先で混ぜ合わせ、針に取り付けられたカミソリに振りかける。

続いて油のような茶色の液体を粉に加えてこね、さらにカミソリに塗り付ける。この針とカミソリで出来たものは家のそばに置いておけば魔除けになるのだと言う。

そしてまた新しいカミソリを取り出し、「処方例」の実演として、助手でもある奥さんの脚・腕・額に小さな傷をつけ、そこに先ほど油のような液体と合わせた粉をすりこんでいく。何かを唱えながら。

こうすれば誰かが危害を加えようとしても指一本触れられることはない、そして効き目は死ぬまで続く…自信たっぷりにムトンガ氏は解説し、「アルビノの人に(ここに来るよう)教えてあげてください」と付け加えた。

「薬でアルビノ襲撃を防ぐ」と聞いた時には少々面食らったが、彼らの世界観から考えれば当然のレスポンスなのかもしれない。

玄関には診療所を訪ねてきた患者たちが取材の終わりを待っていた。ムトンガ氏の奥さんが一人ずつ招き入れ、同じようにカミソリで患者たちの手や額に傷をつけ、そこに薬をすりこんでいく。

いつのまにか入り込んできた鶏がせわしなく歩き回る。呪術医はここでは日常風景の一つなのだ。その風景の中ではペットボトルに入った粉による治療も、就職面接のための「薬」も、そんなに違和感のないことなのだと想像する。

ムトンガ氏の診療所で見たり聞いたりしたことと、アルビノ襲撃は地続きではある。「非科学的だ。遅れている」と思う方もいるだろう。

ただ、少々話の飛躍を承知で言えば、日本でも商売繁盛の熊手を買ってきて飾ったり、交通安全のお守りを車内にぶら下げたり、学業成就の絵馬をかけたり、縁結び寺や縁切り神社に行ったり、お祓いを受けたり、占い師に占ってもらったりする。

中央アフリカ共和国の民兵が小銭入れのようなものを数珠つなぎにして首にかけて「これで敵の弾が当たっても大丈夫」と誇らしげに語っている映像を見てちょっと驚いたことがあるが、日本も戦時中には「千人針」があった。

そうした様々な慣習は、きっと「科学的」ではない。もちろん「それは本気で信じているわけじゃない」「程度の差がある」…それはそうだ。

でも、人はどこかでこういう不思議な力に頼りたくなる傾向があるのは世界共通のコトで、ザンビアの例も、初見で受ける印象ほどには、距離が遠い話でもないのかもしれない、と思う。

人間のそんな傾向に、「異質なものを排除する」というもう一つの傾向がかけ合わさったところにアルビノ襲撃の悲劇がある。人間が人間を自分と同じ人間だとみなさなくなった時、人間は人間に対してすこぶる残酷になりうる。

撮影機材を撤収して別れを告げ車に戻っていると、ムトンガ氏が診療所から出てきて、WhatsAppを交換しよう、と言った。