ある兵士が語った忘れられない戦場の実相

作家の保阪正康さん(84)。50年以上にわたって近現代史を徹底的に研究し、ノンフィクション作品として後世に残そうとしている。

ノンフィクション作家 保阪正康さん
「私たちの国はどのような歴史を作ってきたのかということを見つめ直さなければいけないと思います。僕は、その見つめ直すところに新しい教訓や発想とかいろいろなものが出ると思う」

保阪さんはこれまで、戦場で戦った兵士から戦争の指導者に至るまで、4000人以上から直接、話を聞いた。積み上げた証言を丹念に言葉に紡いで記す、「聞き書き」を行ってきた。

証言を聞いた中で忘れられない、ある兵士がいる。中国で三光作戦と呼ばれる、日本軍の侵略行為に参加した兵士だ。

三光とは「焼き尽くし(焼光)、殺し尽くし(殺光)、奪い尽くす(搶光)」ことをさすという。

戦場体験者(沈黙の記録<筑摩書房>より)
「私らもよく火をつけたよ。すると4、5歳の子供が泣きながら村から出てくる。それでわれわれの後をついてくる。上官に『どうしますか』と相談したら『始末しろ』という。つまり殺せということさ。電車のなかでも幼稚園の園児と覚しき一団がのってきたりすると、もう耐えられない。私の当時の行為を思い出してしまう」

保阪正康さん
「その兵士は、自分の子供が孫を生んだとき、4、5歳になったとき、孫が遊びに来るとき、いつも家におらず逃げていたと、後に言っていました。中国でも裁判になった、ある程度の位を持った将校の話もありましたね。彼の家の応接間に、ある著名な作家が来て、何人殺したなど全部聞かれるままに答えた。彼は家に誰もいないと思っていた。そしたら応接間の戸が開いて、彼の大学院生の息子が『おやじ、戦場でそういうことをしてきたのか。俺はこの家にいられない』って出てたって言うんですよ」