反戦を訴える背景に叔父一家の自決
澤地さんが戦争を語り続けるのにはわけがある。実は母の弟であり、軍人だった叔父一家が敗戦直後に自決していたことがあとになってわかったのだ。

カメラの前ではこれまで語ったことのなかった悲劇について、澤地さんは語り始めた。
澤地久枝さん
「今まであまり言わなかったけど、母のただ一人の弟一家は(現在の)北朝鮮・会寧の近くで自決して死んでいる。夫婦と小学校2年生とまだ1歳にならない2人の娘を連れて4人で死んでいる。今人生終わりかけて、これだけは書いておこうと思うことは、この叔父一家のこと。言わなければならないと思うところがあります。それは私の役割だと思う。でなければ、自分の過去のことは覚えていても言わなかったかもしれない。でも、叔父一家が死ぬためには、そこに行くまでの昭和という時代の流れがある。一家で死ぬのが必然性であるような道をたどってる」
そして今、「台湾有事」などを念頭に、沖縄では自衛隊の増強が急速に進んでいる。
沖縄で暮らしていたこともある澤地さんは、この変化を特別な思いで見ている。

澤地久枝さん
「戦争のとき、沖縄の人たちはみんなひどい目にあっている。またなんで同じように沖縄を見殺しにするようなことをやるんですか、政治は。沖縄がやられるってことは、日本全体がやられるってこと。何にやられるかと言ったら『不法な政治』。不法な政治は人間の暮らしなんか考えていない。まだ14歳だったけど、この前の戦争が終わった後で、1年ちょっと難民生活をして引き揚げてきた人間から見れば、政治というものはどんなに簡単に自国の民を切り捨てるか。振り向きもしないということは、経験上、私はよくわかっている。いい戦争なんてないし、そこで死んだ人たちは虚しく死んでそのまま。だから、明日という時代には戦争という手段はもうやめると。どんなに遠回りになっても話し合いで片付けて生きていこうと。何にも生まれないですよ。殺しあっても」
















