戦争の記憶を未来へ、「NO WAR プロジェクト つなぐ、つながる」。出撃前日に終戦を迎えた元特攻隊員。自宅に作った資料館を後世に受け継ぐ取り組みを取材しました。
大分予科練資料館。元特攻隊員の川野喜一さんが1988年、自宅の一角に設けた私設の資料館です。戦友や遺族から寄せられた写真や遺書など、およそ3000点が展示されています。
川野喜一さん(享年95) 2001年
「戦争に参加した人が一番悲惨なことは知っている。お前は生き残って慰霊しろと言う神のお告げだろうということで、私も真剣にこれをやっている」
喜一さんは海軍飛行予科練習生、いわゆる少年飛行兵の18期生として、昭和17年、16歳で茨城県の土浦海軍航空隊に入隊し、特攻隊として出発する前日に終戦を迎えました。
36年にわたって戦争の歴史を学ぶ場となった資料館。喜一さんが亡くなってからは長男の孝康さんが受け継ぎましたが、今後、管理する人がいないことから閉館を決めました。
喜一さんの長男 川野孝康さん(68)
「私が亡くなって以降が見えないので、私の代で橋渡しをすれば父の思いがその次(の世代)に移っていくのではないか」
今の中高生の年齢にあたる予科練生が何を考えていたかがわかる資料もあります。閉館の情報を知り、訪れた人の中には、戦争を研究するアメリカの大学関係者もいました。
スタンフォード大学 フーバー研究所 上田薫 学芸員
「最後のメッセージに書かれた手紙を読んだり、予科練の日々の生活が書かれたものを見ることによって、若い人たちにこれから学習して判断力をつけてほしい」
資料は閉館後、大分市内にある大分県護国神社に移され、来年、戦後80年の企画展で展示することが検討されています。資料は慎重に選別され、神社に向けて車によるピストン輸送で運ばれます。まさに人海戦術です。
大分県護国神社 文化調査部 亀田雅弘さん
「非常にきれいな状態で、約80年たっても保存されているというのが奇跡的なことで、価値があるものだと思います」
「生き残ったものの務め」として、喜一さんが遺した資料の数々。その中には靖国神社とこの資料館にしか現存しないという、旧日本海軍の爆撃機「彗星」のプロペラスピナーもありました。
戦後79年、戦争の記憶を語る資料は新たな場所で、平和の尊さを後世に伝えていくことになります。
川野喜一さん(享年95) 2001年
「実戦に使った品物を保存しなきゃ、将来に伝えると言ってもなかなか伝える言葉がなくなる。人がいなくなるから、物で伝えなきゃ」
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