一夜で壊滅した街…いまも脳裏に焼き付く惨状
この日の空襲では佐藤さん一家に被害はなかったものの、壊滅した街で目の当たりにした光景は今も脳裏に焼き付いています。

佐藤守良さん:
「穴が掘ってあった。そこに人を満載したトラックが来た。真っ黒く焼けた、男だか女だかわからないような。山のように積んで来たのを、兵隊たちが人をおろし始めた。見ていられなかった。きのうまで和やかに暮らしていた人たちが一晩でこうなったかと思うと、見ていられなかった」
その後の空襲で自宅が焼かれ、家族で葛飾区に移住。佐藤さんは、1945年の5月、日本海軍の事務などを担う海軍省に就職しました。

佐藤守良さん:
「海軍の特攻兵器のいろいろな文書を扱う部局。実際の書類は私たちは見ない。偉い人たちだけ。『受けましたよ』ということを記録しておく」
8月15日、佐藤さんは海軍省の中庭で拡声器の前に整列するよう言われました。