BC級の戦争犯罪を唯一国内で裁いた横浜軍事法廷。沖縄戦が始まっていた1945年4月、石垣島で撃墜した米軍機の搭乗員3人を捕らえて殺害した「石垣島事件」では、46人の元日本兵が被告となった。このうち山形市出身の幕田稔は、事件当時26歳で大尉、海軍の特攻・震洋隊の隊長として石垣島にいた。上官からの命令で1人を斬り、終戦後に戦犯に問われた幕田は、裁判では証人台に立ち、堂々と質問に答えた。しかし斬首を認めている幕田には相当に重い判決が予想された。判決が迫る中、担当弁護士は最後の手段として再度、嘆願書の提出を試みたー。
初公判直前 妹へ映画の感想
右端、顔が半分切れているのが幕田稔大尉
1947年2月にスガモプリズンに収監された幕田稔大尉。この事件では3人の米兵が殺害されたが、2人は斬首され、1人は杭に縛られて刺突訓練の的となり大勢から銃剣で突かれた。そのため、斬首に関わった幕田大尉の収監は早かったが、3人目の銃剣刺突に加わった者の特定に時間がかかり、収監は五月雨式に9月まで続いた。裁判が始まったのは11月26日だった。
初公判の直前、11月18日に幕田が6歳年下の妹、久子に宛てた手紙があった。
<幕田稔から妹・久子への手紙 1947年11月18日>※現代風に書き換え
相当、寒くなった事と存じます。ご注意、肝要。小生は変わりなし、ご安心あれ。社会情勢もインフレ変遷、世情不安で、あまり住みよい世の中でもなさそうですね。健全な常識と穏当妥当な思想により、もとめる世の中の道が間違うことのない様に祈る。先の土曜、映画「七つの顔」を見る。戦後の普通以下のもの、感銘もなし。裁判の件については、先日依頼した様によろしくお願い申し上げる。皆様によろしく。
十一月十八日 稔拝 久子様
















