戦争の記憶を未来につなぐ「NO WAR プロジェクト つなぐ、つながる」です。海面を滑走路代わりに飛び立つ水上飛行機を旧日本海軍は数多く運用していました。大戦末期には、速度が遅いその水上機まで特攻に使われていました。
記念碑を建立 中田健吉さん(81)
「誰も知らないです。地元のものすら知らないくらいだから」
福岡県糸島市の漁港の一角に立つ記念碑。終戦間近の数か月、海軍の「秘匿基地」=玄界航空基地があったことを伝えるものです。機体は松林に隠され、兵士たちは民家にわかれて宿泊していました。
自宅に兵士が宿泊 大部節子さん(87)
「ここは4機か、5機ぐらいですかね。もう見ちゃいかん。近寄ってはいかん」
地元の資料館に、基地で運用されていた零式水上偵察機の部品が展示されています。零式水上偵察機は翼の下に浮き=フロートがあり、水面から発着する飛行機で、主に偵察任務に使われていました。
国内で唯一見ることができるのが、鹿児島県南さつま市の万世特攻平和祈念館です。
記者
「零式水上偵察機、3人乗りだったこともあり、間近で見ると大きく感じられます」
この機体は、福岡の玄界航空基地の所属で、沖縄方面の偵察から帰る途中、不時着したものでした。
万世特攻平和祈念館 楮畑耕一さん
「アジア太平洋戦争中というのは、航空機の進化は非常に早かった。(零式水上偵察機は)だいぶ旧式化していたと思います」
アメリカ軍が攻撃中に撮影した零式水上偵察機の映像。「速度が遅い」と報告されています。
そんな水上機あわせて44機が82人を乗せ、鹿児島県の指宿海軍航空基地から片道燃料で、爆弾を抱えて飛び立ちました。速度が遅い水上機による特攻は、フロートを下駄に例えて「下駄履き特攻」と呼ばれました。
零式水上偵察機の搭乗員だった神馬文男さん(98)も、中国の基地で上官に特攻に志願するか尋ねられたことがあります。
零式水上偵察機 元搭乗員 神馬文男さん
「搭乗員20人くらいで並んだんですけど、その時に『特攻を志願する者、一歩前に出れ』。出たんです、私。みんな出た。環境が違う。出なければならない、行かなければならない」
神馬さん自身は特攻に飛び立つことはありませんでしたが、多くの戦友が特攻で命を落としました。
零式水上偵察機 元搭乗員 神馬文男さん
「みんな仲間が行った、次々行った。いつ自分の番になるだろうか」
戦闘機に比べて速度も遅く、より無謀と見られていた下駄履き特攻。証言できる人が減り続けている中、今も残る機体は戦争の理不尽さを静かに語りかけています。
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