科学が変えた戦争、その象徴的な兵器は核だ。
世界で初めて原爆が投下され、推計14万人が犠牲となった広島。長崎では推計7万人以上が犠牲となった。
一方、アメリカ・ソ連に次ぐ核保有国となったイギリスでは、開発の過程で「人体実験」ともいえるようなことが行われていた。
天才科学者の理論が後にもたらした「大量の犠牲」
1905年、物理学者のアインシュタインが発表した「相対性理論」。

40年後、他の科学者たちが、その核分裂反応のエネルギーを利用し、原子爆弾を開発。1945年8月6日、世界で初めて広島に投下された。
広島市の「原爆被爆者 動態調査事業報告書」によると、6日のうちに、5万人以上が亡くなったという。
その凄惨な光景が、目に焼きついた人がいる。
話を聞いたのは、八木義彦さん(90)。八木さんは11歳の時、爆心地からわずか1.5キロに位置する国民学校の校舎で被爆した。

「ピカッと光ったのはわかりました。光ったら、もう潰れてるから。2階の屋根がもう1階くらいに潰れてました。それでそこから校庭に出て、校庭の中にはもう息をしている子どもはほとんどいない、丸焼けですよね。一瞬ですよ、瞬きする間です」と八木さんは証言する。
九死に一生を得た八木さんは、家族の安否を確かめるため、自宅に向かったが…
八木さん
「家に戻ったら燃えていました。ほとんどの家が火がついていた。痕跡は何にもない。家族5人とも何もない。骨のひとかけらもない」
爆心地から2キロ以内は、ほぼ全焼。八木さんの家もまた、激しい炎で焼き尽くされた。
広島の原爆で命を落とした人は、1945年末までに、推計14万人にも上る。