77年前の8月15日、戦争は終わりましたが、そのあとも連合軍に拘束され裁判にかけられた人たちがいます。戦犯=戦争犯罪人と呼ばれた人たちです。BC級戦犯として米軍に裁かれ、いったんは死刑を宣告された元戦犯の遺族が抱く思いです。
◆父は捕虜虐待でスガモプリズンに収監された

冬至堅太郎さんの次男・眞也さん(77)「おやじとも会ってないし小さいころは、だって拘置所にいましたから、死刑囚だったんだよね、そしていつ処刑されるかっていう、(まあ順番待ちみたいなもんじゃないでしょうか)そういう状況でなんか僕を連れて私の母がおやじに会わせたかったんでしょうね」
福岡城の跡に置かれた西部軍の主計中尉だった冬至堅太郎さん。1945年、福岡大空襲で母を亡くしました。翌日、司令部に連れて来られたアメリカ軍爆撃機の搭乗員4人の処刑に実行者として関わりました。

翌年、捕虜虐待で戦争犯罪に問われ、東京のスガモプリズンに収監。次男の眞也さんがまだ1歳のころです。