◆40人以上のアメリカ兵の捕虜が殺害された

留学生「いつも冬至さんは、いつも冬至さんからお世話になってまして、(優しくして?)ええ優しい人ですね」


冬至堅太郎さん(当時64)「軍人として大東亜戦争に参加した1人ですけど、その当時、日本の軍隊はアジア諸国に大変な迷惑をかけていますよ。」

冬至堅太郎さんが所属していた西部軍では、数回に分けてあわせて40人以上のアメリカ兵の捕虜が殺害されました。いずれも、空襲していた爆撃機の搭乗員です。その慰霊法要が、2年前から福岡市で行われています。


冬至克也さん「私の父、冬至堅太郎は77年前の本日、西部軍事件の処刑の執行者の1人でありました。写真の方々の慰霊に加えまして、あの戦争で犠牲になったすべての方々に哀悼の意を表す次第であります」