冬至眞也さん「おぼえています、金網越しといいますか、側まで来て会話出来ましたし、格子ごしにですね。これがおやじかと、おやじなんだという風に会ったわけですから。やっぱりこうやっていまそれを反復しても、やっぱりつらかったろうなと思いますね」

◆朝鮮戦争の勃発で減刑

(日記朗読)ついに来たるべき判決の日は来た。絞首刑!これが私に与えられた判決である

1948年12月、絞首刑の判決を受けましたが、2年後、朝鮮戦争が勃発。その翌月、無期懲役に減刑され、1956年に仮出所。10年に渡るスガモプリズンでの日々でした。

冬至眞也さん「あれ(朝鮮戦争)がなかったらおやじ死んでたね、そうかじゃあよかったね。だからね、戦争のおかげで命が助かるなんてのは本人としてはどうかわかりませんが」

次男と9つ離れた三男の克也さんは、減刑後に生まれました。

三男の克也さん


冬至克也さん「スガモから朝鮮戦争に向かう米軍を見送る一文がありましたけど、かわいそうだなって言ってましたよね」