■被爆から何年もたった後でも…
池本アイ子さんと徹さんはその後、回復し、元気に過ごしていました。
放射線による急性障害は、1945年の暮れにはおさまったと考えられていました。しかし、被爆から4年後…。

徹さんは突然、体調を崩しました。歩くこともできませんでした。
2人の父 池本友一さん(1994年 証言)
「原爆症じゃな」
徹さんは、そのまま入院先の病院で亡くなりました。11歳でした。
姉のアイ子さんは、被爆から20年たった29歳のときにがんで亡くなりました。

2人の母 池本タメ子さん
「ええ子じゃった。わたしらが買い物に行って戻ったら、みそ汁こしらえてから待っとった。ええ子じゃったよね」
アイ子さん・徹さんきょうだいのように被爆から何年も後になって亡くなる人は後を経ちませんでした。
原爆の放射線は、何年たっても被爆者の体をむしばみ続けているのです。
厚生労働省によりますと、全国の被爆者の平均年齢はことし3月末時点で84.53歳。また、被爆者の人数は去年より8820人減って11万8935人となりました。
あの日の体験を直接聞くことができる時間は、限られています。
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いま、伝えたい ~広島の放送局に残る映像~
核を巡る緊張が高まっている状況だからこそ、わたしたちRCCは、これまで取材させていただいた被爆者の皆さんの声をお届けしなくてはと考えています。
以下、局に残る貴重な映像をまとめています。
●「『助けて』という姉を見殺しに… 誰にも言えなかった」 悔い続けた弟
●被爆した医師は8月6日の午後から救護にあたった… ~広島の放送局に残る映像から 原爆投下77年~
●「次、死ぬのは私の番… そればかり思っていた」 医師と患者… 救護現場の記憶
●「姉は苦しみだけの人生だった」 失明、脱毛… 当時18歳だった少女の"戦後"
●廃墟の広島で撮影された少年 「あれは77年前のわたし」 初めて男性が戦後を証言することを決めた理由