1950年スガモプリズン最後の死刑執行で、28歳で命を絶たれた藤中松雄。松雄は終戦の4か月前、石垣島で撃墜された米軍機の搭乗員を命令に従って銃剣で刺して殺害。戦後、捕虜虐待でBC級戦犯に問われた。ふるさとの福岡県嘉麻市から連行されて、東京都豊島区にあったスガモプリズンに入所したのは、1947年7月2日だった。囚われたその日から藤中松雄に関して作成された文書が、国立国会図書館が所蔵するマイクロフィルムの中にあった。正面と横顔の写真を撮られ、指紋を採取。所持品リストのほか、教誨師との面会のための外出届など、規定の手続きで作られたものだ。そして、死刑執行についての文書も残されていた。刑の執行に際した通達には、刑の申渡しや絞首台の準備、執行後の手続きなどについて細かく指示がだされていた。立会人の米軍将校たちのサイン、軍医の診断書、指紋の照合。処刑は厳格に行われていたー。

◆マイクロフィルムに刻まれた松雄の記録

マイクロフィルムに残されていた藤中松雄の個人記録

国立国会図書館が所蔵するマイクロフィルムの中にあった藤中松雄の記録。マイクロフィッシュという、シート状のフィルムに碁盤目状に写真が納められたものを投影機にかけて、一枚一枚見ていく。死刑執行の決定から、立ち会い、執行時間や死亡確認などの報告書が17枚と、スガモプリズン入所日に作成された基礎的な個人データや、面会人の記録、外出届、遺品のリストなどが17枚。重複したものもあったが、34枚が残されていた。個人記録には写真と指紋があるが、コピーしたものなので色は白黒で不鮮明だ。特に写真は真っ黒につぶれてよく見えない。米国の国立公文書館にある原本は、黄身がかった紙で白黒ながら写真もきれいだという。白黒コピーだと藤中松雄の写真も正面から写したものは顔がわかるものの、横顔は真っ黒だ。ただ、文字は確認できる。