1951年、日本はサンフランシスコ平和条約に調印。翌1952年に発効し、連合国軍による占領を終わらせて、国際社会に復帰した。平和条約の第11条には、日本が「戦犯裁判を受諾」することが明文化された。その後国会で、戦犯たちの釈放を促進するための決議や戦犯の遺族に対する年金の措置が講じられたりはしたが、「日本に戦犯は存在しない」というような決議がなされたことはない。

日本が受け入れた戦犯裁判の記録は、国立国会図書館のマイクロフィルムに残されている。1950年スガモプリズン最後の処刑で死刑執行された、石垣島事件7人の個人データから検証を続けるー。

◆日本は戦犯裁判を受諾

サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂首相(1951年)

1945年にポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏した日本は、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約によって独立を回復した。連合国48か国との間に結ばれた平和条約の第11条には、「日本国は極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」とある。日本は、A級戦犯、BC級戦犯両方の戦犯裁判を受け入れて、国際社会に復帰した。2005年、国会における質問に対し、小泉純一郎首相(当時)は「国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」と答弁書に記している。