来日中に兵役忌避を理由に制裁
モハメドさんは、大学に進んだ後、父子二代続くアサド政権の腐敗を知り「兵役には就かない」と決心した。学業や、その後起こした会社の経営を理由に、毎年、徴兵の猶予を更新してきた。
2011年、内戦が勃発すると、「全土で約40万人以上の死者、約690万人以上の国内避難民が発生し、周辺諸国等に約550万人以上の難民が流出(国連等、2022年12月時点)」「今世紀最悪の人道危機」(日本外務省のシリア・アラブ共和国基礎データより)に突入する。
モハメドさんはアサド政権への反発を強める一方、同政権と対立する過激派組織も批判。集会を開催するなど抗議行動に出たことから、政権の治安機関によって2度、拘束されたほか、過激派側の警察部門からも指名手配を受ける。
2019年、商用目的で出国、レバノンとマレーシアを経由して、5月に輸入の取引のため来日した。ところが日本にいる間に、アサド政権の治安機関が、会社事務所と倉庫を閉鎖して従業員に退去を命じたうえ、不動産を差し押さえ、8万米ドルの残高があった銀行口座も凍結した。モハメドさんの兵役忌避への制裁が理由だった。
母国に残る妻子に対しても、治安機関員が「(モハメドさんが)帰らなければ、おまえたちを逮捕する。帰るように伝えろ」と脅し、その後、連行、拘束されてしまう。
モハメドさんは、もはや帰国はできないと判断し、2019年8月、難民認定を申請した。
私の取材にモハメドさんは「私は難民認定を申請するために日本に来たのではなかった。日本語は全然わからなかったので、もし、そのつもりならば、ヨーロッパに行っただろう」と振り返る。
確かにヨーロッパの方が近いし、英語も通じる、難民認定率も高い。日本滞在中に身の回りに異変が起きたことによって、日本政府に難民としての保護を求めざるを得なかったというのが実情だった。