虐待は「個人の資質」ではなく「社会構造」の問題
第三の視点として、虐待は「個人の資質」の問題ではなく、社会の仕組みそのものに根差した「社会構造」の問題であると認識する必要がある。
施設虐待の最大の要因が「知識・技術不足」であることは、極めて重要である。
障害の特性や認知症の症状(例:大声を出す、徘徊する、暴力を振るう)を、支援者が「問題行動」や「自分への攻撃」と捉えてしまう「無理解」が、罰や拘束といった不適切な対応(=虐待)の入り口となる。
これは、専門的なアセスメント能力や対応技術を学ぶ研修体制、そしてそれを実践するための人員配置が、社会的に十分に保障されていないという構造的な欠陥である。
さらに深刻なのは、介護・福祉職の労働環境である。全産業平均と比較して低い賃金水準、高い離職率、慢性的な人手不足。これらは、ケア労働の専門性を社会が正当に評価してこなかった結果に他ならない。
この構造的な問題が、現場の職員に過剰なストレスを強い、虐待のリスクを増大させる負の連鎖を生み出している。
また、児童虐待と「貧困」の間に強い相関関係があることも、経済構造の問題を浮き彫りにする。経済的困窮は、親の精神的な余裕を奪い、育児ストレスを増大させ、その矛先が子どもに向かいやすくなる。
一方、雇用の場における障害者虐待に目を向けると、「経済的虐待」(使用者による不当な低賃金など)が突出して多い(使用者による虐待の約8割)という実態がある(厚生労働省「令和5年度 使用者による障害者虐待の状況等」)。
これは、障害者を安価な労働力として搾取することを許容してきた、社会の歪んだ価値観そのものを反映している。
このように、虐待は社会のセーフティネットの欠如、福祉や教育へのリソース配分の不均衡、そして経済格差といった構造的な問題が、最も弱い個人へのしわ寄せとなって噴出した現象なのである。
私たち一人ひとりができること —— 「無関心」から「行動」へ
本稿で見てきたように、虐待は「悪意ある個人」が生み出すものではなく、「孤立」「ストレス」「無理解」そして「社会構造の歪み」が助長するものである。
虐待を根絶するために必要なのは、加害者を断罪して社会から排除することではなく、虐待を生み出す土壌そのものを変革することである。
そのために、私たち一人ひとりに何ができるだろうか。
第一に「知る」ことである。障害や認知症の特性、介護者の現実を正しく理解する努力が、「無理解」の克服につながる。
第二に「気づく」ことである。「あの家、最近子どもの泣き声がずっと続いている」「介護で疲れ切っている様子の隣人」などの追いつめられている人々の小さなサインに関心を持ち、地域の中で孤立させない視線が求められる。
第三に「つなぐ」ことである。もし虐待を疑うサインに気づいたら、ためらわずに専門の相談窓口(児童相談所虐待対応ダイヤル「189」、市町村の障害者・高齢者虐待防止センターなど)に連絡することである。
これは「密告」ではなく、追いつめられた家族や本人を「支援につなぐ」ための最も重要な行動である。
社会全体としては、介護・福祉職の待遇を抜本的に改善し、専門職としての地位を確立すること、ケアラー(介護者)支援の制度を拡充すること、そして何よりも、地域コミュニティを再構築し、孤立する個人や家庭を支えるセーフティネットを張り巡らせることが急務である。
虐待は、決して「他人事」ではない。私たちが生きる社会の鏡である。「自分には関係ない」という「無関心」こそが、虐待を容認し、助長する最大の要因である。
私たち一人ひとりが傍観者でいることをやめ、社会構造の問題として捉え直すことから、真の解決が始まるのではないだろうか。
※なお、記事内の「図表」に関わる文面は、掲載の都合上あらかじめ削除させていただいております。ご了承ください。
※情報提供、記事執筆:第一生命経済研究所 ライフデザイン研究部 シニア研究員 後藤 博