迫り来る焼夷弾「まるで紅蓮の炎」

市街地は山と軍の施設に囲まれていました。大之木さんが当時暮らしていたのは、呉市街地の中心部でした。迫り来る火から逃れるため、北方向に逃げたことを記憶しています。
自宅から家族と防空壕へと避難した大之木さん。防空壕は、近所の親戚の家の庭にあったといいます。
大之木精二さん
「向こうの橋の方にね、かなり大きな防空壕があった。15人ぐらい入れたんじゃないかな」
しかし、この防空壕にも火の手が近づいてきました。
「僕が防空壕入ってしばらくすると、だんだん焼夷弾攻撃が激しくなった。だんだん近づいてくるように見えたもんだから、母親たちが『ここにいたら危ないから逃げよう』と」

防空壕から避難するようになりましたが、真夜中でもあり、家族と離ればなれになりました。それでも、別の親戚の家がある山側を目指し、1人で逃げ続けました。
「ただどんどん火の手があがってくるという恐怖心があったけども。とにかく逃げることで必死でね。もう、本当に紅蓮の炎。まさにその通りという光景」
翌日、バラバラになっていた家族と再会することができました。
「おやじが親戚につらって入ってきたときにね、僕の妹がまだ3歳か4歳。『生きとったか』って抱きついて泣くわけ。僕はその光景を見て大泣きしたね」