「まだ若い。捕虜にされても生き延びなさい」
その後、母と弟は北部に疎開しましたが、それでも富子さんは、那覇にとどまり、軍事作業を選びます。これも「お国のため」でした。
監督役だったある日本兵の言葉が、今も頭から離れません。
「『ねえ佐久川くん。自分たちは沖縄で(骨を)埋めることを覚悟しているけどね、あんたたちはまだ若いでしょ。15、16でまだ若いからね。戦争にあってもね、捕虜にされても生き延びなさいよ』と言われたわけ。この真下准尉が初めて。あれ?兵隊さんあんなこと言う?これからね、死ぬことを諦めたわけ」
「とっても良い方だったのよね。准尉さんは年おいくつですか?と聞いたら32歳と言っていたのよ。どこの方ですか、故郷は?と聞いたら、京都と言った」
慰霊の日、家族の名前に水を供えたあと、富子さんは京都府出身者の刻銘板にも足を運びました。








