町長として背負った責任

事件当時、金武町長だった吉田勝廣さん。加害者の米兵が、金武町にある海兵隊基地「キャンプ・ハンセン」の所属と知り、町のトップとして深い責任を感じていた。

金武町長を務めたころの吉田勝廣さん

吉田勝廣さん(当時金武町長)
「許せないというのと、ショックと。自分が町長時代にこういうことを起こしてはだめだということもあるわけよね。それは(首長は)誰だって同じだと思う」

事件後、吉田さんは米軍基地の司令官による隊員教育の講話を目の当たりにした。しかし、その内容に愕然とした。

「司令官の講話は、抽象的なことばかり。これでは犯罪をまた犯すだろうなと。過去の殺人事件や暴行事件があったことを言っていない。これではとてもじゃないけど、話にならないと。それで司令官にお願いして、“私に話させてくれ” と」