堅治さんの事業を手伝うため、後を追うように移民した、弟の秀一さんは、兄の遺した願いを聞いていました。
秀一の子(堅治の姪)中里光代さん:
「堅治さんは亡くなる前に、残した子どもたちがどう暮らしているか見届けてほしいと、父に託した」
しかし、その思いを果たすことなく、秀一さんは81歳で亡くなります。

それから28年がたち、5世のクロエさんが、海外移住者の子弟を沖縄県に招待する文化交流事業「ジュニアスタディツアー」で来沖。関係者が沖縄の親族を探し出し、両家の縁がつながりました。
中里さんは、父も眠る墓にテシエ家を案内。祖先を大切にする沖縄の文化に触れながら、80年以上の空白を、少しずつ埋めていきました。
ドミニク・テシエさん(3世):
「私は祖父のことを全く知らない、写真を1枚持っているだけです。だから今祖父が私たち家族の食卓を見守っていることを願う。本当に温かくて和やかなひとときです」

クロエ・テシエさん(5世):
「多くの家族が大きな影響を受け 今も語ることが難しい状況にあるのは悲しい。本来ならもっと早く知るべき事実を長い時を経てようやく知るのです」