テシエ家が帰国したあと、中里さんは父の遺品の中から愛用していた髭剃りを見つけました。調べると、オーストラリアの捕虜収容所で支給されたものであることがわかりました。

堅治さんが遺した髭剃り 捕虜収容所での支給品を大切にしていた

秀一の子(堅治の姪)中里光代さん:
「子どものころ父がこれを使っているのをよく見ていたので、向こうから持ってきたものをずっと使っていたと知り、びっくりしている」

太平洋戦争を境に全ての財産を没収され、強制連行された秀一さんは、1946年までオーストラリアの収容所に収監されていました。

親睦を深める堅治さんと秀一さんの子孫たち

秀一の子(堅治の姪)中里光代さん:
「語った人の体験はまだ残っていくが、語らなかった人の体験は残らない。父もつらかった部分は語らなかったので。父があの時に体験したことを、思いだけでも伝えることが、今できることだと思う。戦争についても、学ばないといけない宿題を託されたような感じがします」

戦争と移民の時代に生まれた「家族の宿題」。封じられた記憶をたどりながら、新たな家族の物語を、未来につなぎます。