オーストラリアの東にあるフランス領のニューカレドニア。1863年にニッケル鉱山が発見されると、世界中から鉱山労働者が集まりました。沖縄からも約900人の男性が渡航し、島の女性と家庭を持つ人もいました。

しかし1941年の真珠湾攻撃を境に日本人は「敵性外国人」として収容所に連行され、戦後、強制送還。残された家族は、日系人であることを隠して生きざるを得ませんでした。

3世のドミニクさんが、沖縄の血を引く自身のルーツに気付いたのは2009年。祖母の遺品を整理している際に、堅治さんの身分証などが見つかったのです。

生前の新里堅治さん

1919年、鉱山労働者として渡った堅治さんは、契約終了後も島に残り、洋服仕立て業などで財を築いていました。そして、ドミニクさんの祖母との間に2人の子どもをもうけます。

ドミニク・テシエさん(3世):
「祖母も父も一度もそのこと(祖父のルーツ)については語らなかった。ずっと家族の中で秘密にされてきた。祖母が亡くなったとき、私はそのことを伯母に話そうとしたが、彼女は『過去は過去のままにしておきなさい』と言ったんです」