末子さんの実家の墓からは約700メートルほど離れた、糸満市大里。現在は農道になっている。この付近でアメリカ兵と遭遇した。

「アメリカ兵が水を飲ませた。吐き出した覚えもある。怖くて。薬が入っているんじゃないかと」

「持ち上げられて車に乗せられた。怖かったよ… どこに殺しにいくのかね。どこで亡くなるのかと思っていた」

長年、自身の体験を語らずにいた末子さん。次の世代に平和への思いを託したいと、今回心に閉まっていた記憶を話してくれた。

――戦後80年経ちますが今何を思いますか?

「戦争はもう、ないようにお願いします。助けてくれてありがとうございました。一番戦争が怖い。なくしてほしい。戦争の犠牲…考えてもらいたい」

<編集後記>
沖縄戦を記録した映像のなかでも、アメリカ兵に保護されガタガタと震える末子さんの映像は、テレビで繰り返し使用され、沖縄戦を象徴するような映像です。

実は、末子さんが「この少女は自分だ」と名乗り出たのはわずか6年前のこと。その直後には、この証言をとがめられる経験をし、自身の体験をほとんど語らずに過ごしてきました。

しかし、パレスチナ・ガザ地区やウクライナなど、現代の戦場で子どもたちが犠牲になっている現状が沖縄戦当時の自分と重なり、改めて平和について考え、戦後80年の節目に、心にしまっていた記憶を改めて語ってくれました。