「裸足だよね。裸足だと思う。夜中だから、照明弾で空は真っ赤。這いつくばりなさいと言われて歩きながら這いつくばって。上は見られないくらい赤くなって」
「道で亡くなっている人もいたよ。頭を撃たれて倒れているのを壕のそばで見た。どこのお母さんだったかわからんけどね、おしめを洗いに行って倒れて…」
* * *
取材班とともに、激戦地となった糸満市にあったかつての実家近くを訪れた末子さん。沖縄戦末期の1945年6月、母親と姉・弟とともに、実家そばにある墓に避難した。逃げまどった道をたどると、鮮明な当時の記憶を語ってくれた。
「隣の家に爆弾が落ちた。ちょうど夜中。だから逃げたよ。母親が、ここにも来るから、と。早く起きなさい、逃げろと。すぐ逃げた」
隣の家に砲弾が直撃したことを知り、浦崎さん家族は墓を出て避難。その道中で母親が銃撃を受けた。
「母は、どうせ死ぬんだから別のところで亡くなるより壕に入って死んだ方がいいと。どうせ死ぬんだからと」
弟を置いて、姉とともに逃げるよう告げた母親。末子さんは母と弟と別れ、15歳年上の姉と二人で、暗闇の中を泥まみれになりながら歩き続けた。
――この道を歩いたことは覚えている?
「覚えている。夜だよ。裸足で」
――暗くて怖くなかった?
「怖さも何もわからん。向こうにアメリカ兵は眠っていた。帽子をかぶって鉄砲を置いて」
80年前、“震える少女”の映像が撮影された場所までやってきた。