▼大朝ハツ子さん(89)
「女性たちが庭に出て “友軍の飛行機だ万歳” とやっているときにすぐ、弾を撃ち始めているわけよ」

先島諸島攻撃に加わった英軍機 (1945年)

連合国として、米軍のほかに攻撃に加わった英軍。機体には、日本軍の「日の丸」にも似た円が描かれていました。これを見た地上の住民は、日本軍の機体と勘違いしたといわれています。

大朝さんの住む久部良は、集落の半分近くの家が全焼。その後も空襲は激しさを増し、島全体で38人が命を落としました。

家族10人。ダヤへの避難で命をつないだあと、少し離れた畑に作ってあった小屋での生活が始まりました。

▼大朝ハツ子さん(89)
「畑に行ってそれからちょっと落ち着いてから、近くに避難してる先生がいらしたら、大きいガマがあったらそこで勉強も教えていました」

避難小屋近くのダヤに身を隠しながら授業を受けた大朝さん。戦争によって学ぶ時間まで奪われていました。

「ダヤ」から外を見上げる


現在は孫やひ孫の成長が一番の生きがいだという大朝さん。島では知らない人はいない「大朝商店」を一家で営み、店舗兼自宅で家族を見守りながら暮らしています。

そんな大朝さんにとっての「623」とは―

―― 今年戦後80年になる。今改めて思うことはありますか?

▼大朝ハツ子さん(89)
「いつもテレビ見て怖いです。なんでこんな世の中になるのかねって。孫もひ孫も多いのでみんな元気に長生きできますようにとしか、祈らないです」

国境の島、与那国で戦禍を生き抜いた大朝さん。89歳になった今も、子や孫たちの平和な未来を願い続けています。

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