▽元朝日新聞記者・川端俊一さん
「これは3番手と言っていいのか。かなり小さい。アテネ五輪が大きくとってますから」「3番手と言ってもかなり小さめの3番手ですよね」
元朝日新聞の記者で、沖縄タイムスへの出向経験もある川端俊一さん。事故の一報を聞いたときに思い浮かべたのは、過去の悲惨な事故でした。
ー事故の一報を聞いたときは?
▽元朝日新聞記者・川端俊一さん
「真っ先に思い浮かんだのはやはり、宮森小学校の墜落事故」「背筋が凍りつくような、そういう思いになったのは今でも覚えています」

当時、朝日新聞西部本社(福岡)で、福岡県内のローカルニュースを扱う地域面のデスクを担当していた川端さん。翌日の紙面の構成を決める会議に参加していました。
ー紙面構成を決める会議ではどのようなやりとりが?
「同じ日に、巨人のオーナー、渡辺恒雄さんが、不祥事が起きて辞任するという」
会議に参加していたメンバーで、沖縄での取材経験が豊富だったのは川端さんだけ。事故をトップに据えるべきだと訴えましたが、その意見が通ることはありませんでした。