■ ラストフライトは “初めて飛んだ防府の空”

朝長さんはこの7月まで、基地業務群司令でした。今、その任務にあたっているのは後輩の近藤2等空佐です。
防府北基地 第12飛行教育団 基地業務群司令
近藤 竜哉 2等空佐:
「航空学生(出身者)のなかでも、基地業務群司令だったりとか、定年退官の際に一等空佐になられる方はごく一部です。
(朝長さんの)足跡は、戦闘機操縦者としての活躍はもちろんなんですけれども、やはり操縦者の育成、特に航空学生に対する貢献が非常に大きいと思います。

(いまの)ブルーインパルスの操縦者のうちの何名かも 朝長先輩が直接育てた操縦者です」

防府北基地 渡邊 督哉 3等空佐:
「私たち操縦者にとって憧れの先輩でした。厳しくされているときでも、私たちが落ち込んだ時には優しく声をかけていただきました」


2022年7月19日、“イーグルドライバー”のラストフライト。
最後に乗ったのは、“初めて操縦したT―3の後継機”
そして36年前、“初めて飛んだ防府の空”でした──

フライトを終え、後部座席から降りてきた朝長さんを、孫と娘たちが出迎え、ラストフライトを見届けてくれました。

朝長 1等空佐:
「F-15のパイロットというのは死ぬまで続くと思いますし、実際には搭乗しないものの、F-15のパイロットとしてどう生きていくかと」
■ F-15のパイロットは死ぬまで続く

この日、北村 靖二 第12飛行教育団司令から『定年退職』の辞令書が渡されました。
この後の懇談の席で朝長さんは──

朝長 1等空佐:
「(自衛官として)やり残したことは僕はないと思っているんです。はい。与えられたことを、とにかく今日、この日までにできたなと」

定年退官者として、壇上から、基地のみんなに最後のあいさつです。

朝長 1等空佐:
「第42期 航空学生として育てて貰い、戦闘機操縦者として多くの活躍の場を与えて貰い、防府北基地 12教団で、基地業務群司令として指揮官職を付与していただきました。
私の自衛隊生活36年、一点の悔いなく、幸せな気持ちで今日この日を迎えました」

後輩自衛官から花束を渡されました。
「お疲れさまでした」
「ありがとう」

拍手の中、基地のゲートまで見送られた朝長さんは敬礼で応え、基地をあとにします。
「頑張れよな」「お世話になりました」

あの日から36年、自分自身と闘い続けた日々でした。
朝長 1等空佐:
「航空学生や操縦学生がこの町には大勢いますので、(今後は)そういった子たちに何らかの形でアドバイスをしてあげたり、話を聞いてあげたり、何かそういうことができるような仕事に携われたらなと考えています」
「ありがとう」
退官後、朝長さんは、第二の故郷、防府で暮らし続けます。
◆ ◆ ◆
退官からおよそ1か月。朝長さんは焼き肉店で働き始めました。基地のある防府で自分の店を持つための修行です。
毎日夕方4時から夜11時まで働いています。


朝長さんは、航空学生が集い、悩みも聞くことができる店を開き、今後も基地の外から後輩を支えていきたいと話しています。