核兵器の非人道性を訴え平和の思いを発信するシリーズ被爆79年「NO MORE...」。1回目は、2024年の平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げる三瀬清一朗さん。小学校の校庭に積み上げられた死体を見た少年の思いとは。

被爆者 三瀬清一朗さんの講演:
「平和とは当たり前の生活ができるのが平和なんですよ。平和がいかにありがたいか何と言っても「平和」ですよ何と言っても「命」ですよ」

2024年の平和記念式典で「平和への誓い」を読み上げる長崎市在住の三瀬清一朗さんです。県内外11人の応募者の中から被爆者代表に選ばれました。

三瀬清一朗さん:
「あっこの場所です。今マンションが建ってる。ここに昔住んでた家があった、ここで被爆したんですよ」

1945年8月9日、三瀬さんは10歳、国民学校の5年生でした。
母と祖母、それに兄弟6人の家族8人が爆心地から3.6キロ離れた長崎市矢の平の自宅にいました。

三瀬さん「ちょうどここで…恐らく暑かったと思う。時間も今(11時ごろ)位だった」