「やせた弓子の顔が浮かんできて涙が出て困ります」
終戦直前の戦況が悪化していた時期に書かれたものでした。
(映画の脚本・監督を務める小松孝英さん)
「普通に宮崎にも空襲が来てる中のすごい緊迫した状況というのかな、現場の状況が一番伝わってきました」

手紙は小林市の実家に娘とともに疎開していた妻にあてたものでした。
この時、娘の弓子は赤痢にかかり、危篤状態になっていました。



手紙の末尾には、7月10日、7月19日の日付が記されています。
(手紙の中身)
「やせた弓子の顔が浮かんできて涙が出て困ります。一生懸命努力するつもりでいるのです」

19日付けの手紙では、家族に対しての思いを次のようにつづっています。
(手紙の中身)
「僕も君や弓子とまた、昔のように一緒に暮らせることを大変切望しています」

このあと、娘の弓子は奇跡的に持ち直しました。
この出来事は、終戦後、地平が手がけた最初の小説『子供の像』のモチーフとなりました。

その中には、次のような言葉も・・・
「敗戦もまた楽し」
口にだして言つては不謹愼になるが、僕は縁側から、子どもの生き生きした姿をながめ、瞬間的に實感として、さう思つた。(中村地平『子供の像』より)

(映画の脚本・監督を務める小松孝英さん)
「本人の中で、戦争というものが終わった瞬間の小説だったのかなと思います」
