「スピードやパワーは全く違いました。日本じゃ大丈夫だと思っていても足が出て取られる。やっぱり日本人にはないものばかり持っているな…」

もっと世界の選手たちと戦いたいー
川村さんの思いは、日に日に強くなりました。

アメリカでの挑戦と、大けが

転機が訪れたのは2017年。アメリカのプロリーグNWSLのノースカロライナ・カレッジへの移籍が決まったのです。川村さんはこの年、一度アルビレックス新潟レディースに戻ってきていましたが、クラブの後押しもありアメリカに渡りました。
「タイミング的に、今しかないなと…」

アメリカのサッカー生活は「思い描いた通りだった」と川村さんは振り返ります。

「プレーは、求めていた『強くて速い』選手ばかりだなと思いましたし、その中でプレーしていたら対応力もついてくる。監督も日本人としての自分のプレーを気に入ってくれていて、試合にも出ることができて…もう楽しさしかなかった」

当時、日本の女子サッカーではプロ契約の選手は珍しく、仕事をしながらプレーする選手が多い中で、アメリカではプロとしてプレーに専念できる環境ができていました。
さらに日本よりも多くのファン・サポーターがスタジアムに駆け付け、声援を送ってくれる…川村さんにとって大きな刺激になりました。

しかし、移籍から3ヶ月ほどたったある日。その後のサッカー人生を揺るがすような出来事に見舞われたのです。
それは試合中の接触で起きた、右ひざの前十字靭帯と半月板を損傷するというサッカー人生を左右するかもしれない大きなけがでした。

「しんどかったし、苦しかった」「もうやめたほうがいいのかな…」

その言葉に象徴されるように、その後の川村さんのサッカー人生は、大きなけがとの戦いとなったのです。

後編「『もうサッカーやめたほうがいいのかな』3度の大けがを経験し 諦めかけた心つないだ“人のあたたかさ”」に続く