鳥谷部さんは、こうしたシベリア抑留の体験を自費出版で本にまとめていて、その時の心境をこう綴っています。
「汽車が行く行く 吹雪の中を 東へ行けば 日本の海が 西へ走れば シベリア山へ ゆくえ知れない 西、東 ゆくえ知れない 西、東」(『回想シベリア』から抜粋)
ロシア語で強制収容所は「ラーゲリ」と言います。鳥谷部さんが描いたラーゲリの絵。ラーゲリに連れていかれた鳥谷部さんは抑留され、労働を強いられます。

【鳥谷部仁さん】
「収容所を出るのは午前7時ごろじゃないんですか。そして1時間ぐらい歩きますからね。岸壁崩しですね。崖を崩して、それを細かくして、ハンマーで叩いて、おそらくは、それを彼らは鉄道の線路に間に入れたと思う」

同時にシベリアの寒さが襲います。
マイナス10℃を下回る厳しい寒さを、作業でボロボロになった服で耐えなければなりませんでした。

【鳥谷部仁さん】
「零下何十度にもなりますからね。とっても寒くて、着ているものも十分であればいいけれども、ボロボロので作業でみんなボロボロになるんですよ。そういうのを着て行き来しますからね」
その過酷さに同じ収容所で2人が亡くなってしまいます。
少し間をおいて、『里見、死んだ!』とつぶやいた。『ほんとか!』とつぶやいた。『そうだ!』とつぶやいた後、共に黙然となった~眠ろうとしたが、死に対する悲しみの思いが脳中を駆け巡り、次第次第に幼いころの夜の恐怖に似た思いに変わっていった。なかなか眠ることができなかった(『回想シベリア』から抜粋)