【鳥谷部仁さん】
「いやあ、うれしかった。ナホトカの海岸から一生懸命日本の方を見るわけですよ。日本だぞ、日本だぞって、甲板の上で叫んでいるんですよ」
「みんな。そして泣いているのがいましたね。そして海のかなたに明かりが見えるわけですよ。日本の明かりというのは特別な明かりだったんですね。本当にうれしかった」

船には2000人の日本人が乗り込み、祖国へと帰ることができました。
【鳥谷部仁さん】
「よく帰ってきたなと。両親はもう亡くなっていたが、安心したんじゃないですかね」
帰国後、新潟大学で働いた鳥谷部さんは定年後、この経験を本にまとめようと再びロシアへと向かいました。次女の遠山峰さんも同行しました。
【鳥谷部さんの次女・遠山峰さん】
「父はほとんど家ではシベリア抑留の話はしなかったので、その際に私は深い考えもなく、ボディーガードとして赴きました。どこまでも小麦畑が続いていて、何も知らないでこの地に連行された人は、どんなに不安だったんだろうと思いました」
同じ収容所で亡くなった2人の慰霊碑にも向かい手を合わせました。
過酷な生活を強いられた地を再び訪れる―
鳥谷部さんはなぜ、この体験を本にしようとしたのでしょうか。