今から80年前の1945年(昭和20年)8月1日の夜。長岡の街はアメリカ軍の空襲を受けました。雨のように降り注ぐ焼夷弾などによって市街地の8割が焼け野原となり、1488人の尊い命が失われたのです。

復興を目指した長岡の人々は、1946年(昭和21年)8月1日に「長岡復興祭」を開催。その翌年には“長岡花火”の原点となる花火大会が始まりました。

さらに2004年には最大震度7の中越地震が発生し、長岡も大きな被害を受けました。
その傍らには「長岡花火」という存在があったと話す戸田事務局長。
長岡市の市章『不死鳥(フェニックス)』のように、苦しい状況から立ち上がる市民の心のよりどころとなっているのかもしれません。

【戸田幸正事務局長】
「80年の節目で特別な花火を上げるというわけではないが『原点回帰』というか、『長岡花火とは、もともと何なんだっけ』ということを感じていただけるような花火大会にしていきたい」