今月1日の地震で被災した能登半島には現在運転を停止している志賀原発がありますが、実は珠洲市にも幻となった「原発の建設計画」があることをご存じでしょうか?もし、計画通り原発が建設されていたら…。能登半島地震が突きつけた、「原発」の課題について考えます。

かつての原発予定地で地盤隆起…

家屋の半数が全壊するほど、激しい揺れが襲った石川県珠洲市。この町には、かつて原発の建設計画がありました。

当時 珠洲原発の反対運動に参加していた 北野進さん
「地震が来たって大丈夫、というパンフレットも配布されていました」

1970年代半ばに持ち上がった「珠洲原発の建設計画」。
関西電力が高屋地区に、中部電力が寺家地区に、それぞれ大型原発を建てる構想を打ち出しました。

当時、安全性を疑問視した反対派と、過疎の進む町に原発は必要だとする推進派で、町は二分。
2003年に計画が凍結されるまで、約30年にわたり、対立が続きました。

当時、反対運動に参加していた元石川県議の北野進さんに、原発の建設予定地だった寺家地区を案内してもらいました。

北野進さん
「地震の被害に加えて、津波の被害で、車が流されて、家の中に突っ込んで…」

建設予定地だった2つの地区は、最大震度7を観測した、今回の地震の震源にも近く、至る所に被害の爪痕が残されていました。

北野進さん
「向こうを見ていただくと、海岸の先端辺りが予定地なんですが、地震のあとでここに来てみると、大きく変わっていることにびっくりしてしまいます」

地震の影響で隆起した海岸。海へと伸びた岩場は、以前は海の中にあったものだと言います。

北野進さん
「この周囲に、活断層があるのかどうかということは、当時の知見では確認されていなかったし、地盤が隆起するような場所かどうかなんてことは、(電力会社は)全く想像すらしていなかったと思う。珠洲では、計画を無くすことができたが、今ある全国の原発も、その程度の知見で作られてきた、というところを意識しなければいけないのではないか」