忘れ去られた過去…歴史の研究者が鳴らす警鐘

「歴史的に見て『安政南海地震』程度の南海地震が"普通"であって、『昭和南海地震』はむしろ小さい部類に入ると考えられる。想定される次の地震は、『安政南海地震』クラスを想定しておく必要があると思う」

そう我々に警鐘を鳴らすのは、歴史の研究者だ。

愛媛県の南部、八幡浜市。1857年に発生した「安政南海地震」の被害が記された文献が、遍路宿に残されていた。

「大津波、浜野町まで潮あがり、町内の者、かみ山寺へ上がり」

そこには、地震発生後、約1時間後に押し寄せた津波が、町の多くを飲み込み、“かみ山寺”現在の大宝寺で、標高20mほどある場所まで津波が押し寄せたと記録されていた。

「愛媛県の南予地方沿岸部での津波被害が記録として、よく残っている。宇和島市でも、宇和島城下で、現在のJR宇和島駅の手前まで津波が来たという記録が残っている」

ただ、それもすでに170年前の過去のこと。被害の規模を知る人は、地元であっても多くはないのが実情だ。歴史の研究者は、我々の”気の緩み”について指摘する。

「愛媛は災害が少ないという言われ方をする。でもそれは、歴史の事実を忘れ去って、忘却したあとに生まれてきた誤解と言える」