朝市通り周辺ではこの男性と同じように焼け落ちた建物を確認したり大切なものを探したりする住民の姿がありました。
「じいちゃんの家でいつもお正月を迎えているんですけど、そのときに地震が来て」
こう話すのは、朝市通りに面して祖父の家があった男性。地震が起きた時、両親や親戚など7人が祖父の家に集まっていたといいます。
「じいちゃんの家がここですね。(Q名残とかは?)分からないですね、まったく。小さい頃から育った町なんで、なんとも言えない状況ですね。まだ現実かどうかもよく分かっていないです」
一方で、町を少しでも明るくするための取り組みも始まりました。1910年創業、輪島を代表する老舗の菓子店「柚餅子総本家 中浦屋」が、自社製品を無料で配布していました。
(柚餅子総本家 中浦屋 中浦政克社長)「お正月に販売する予定の商品なので、おいしいうちにみなさんに召し上がっていただければと思いまして」
冷蔵庫などに保管されていた商品を少しでも喜んでもらえればと、無料で提供することにしたのです。
(お菓子をもらった人)「こんな貴重なものを配ってくださって本当にありがたいです」
実は、2023年にMBSの番組で輪島朝市を紹介した際、こちらのお店を取材していました。お菓子を配っていた本店は火災は免れましたが、2023年に取材した店舗は…
(柚餅子総本家 中浦屋 中浦政克社長)「ここ2軒並んでいて、こっちが永井さんという洋服屋さんで、この角です。(Q初めてこの状況を見られたときは?)すいません…全部焼け野原なんで取り立ててうちだけという思いはあまりなかったです。今回ばかりは、いろいろ写真で保存することが好きなんですけど、1枚も撮ってないです。罹災証明に必要なことだけ。撮れないですね」
中浦さんは、まだ何も考えられない状況だとしながらも、なんとか新たな1歩を踏み出したいと考えています。
(柚餅子総本家 中浦屋 中浦政克社長)「まず製造を再開することですね。輪島市内でできるのか、市内の物件とかなるべく短期間で始めたいですね、仮設でもいいので」