津嘉山バイパスの上りで待っていた仲村美涼アナ

それが津嘉山バイパスで中継担当をしていた、同期・仲村美涼アナとの再会だった。残念ならがその拠点での中継はないとの指示があったため、ほとんど言葉を交わすことができなかったが「大雅、頑張れ」という短い一言に2人の絆が詰まっているようだった。

そこからペースがあがり、午前11時前に15キロあたりに差し掛かっていた。11時半で終わるテレビの生中継。オンエアに映るためには、およそ2キロ先の具志頭交差点の中継拠点に時間内にたどり着くしかなかった。

島袋ディレクター
「ごめん大雅、絶対に具志頭で中継したいから、きついかもしれないけど少しペースあげられる?」

嘉アナ
「大丈夫です、行きましょう、剛さん」

スポコンドラマの1シーンのようなセリフのやりとりをして、これまで以上にペースをあげた、これが後から大きなダメージとなることは、その時は分からなかった。

中継地点と本社から私に電話が入る。

(本社からの電話)
「まだ着かない?いつ着ける?」
「今、中継はトップのゴールを抑えるから、5分後くらいにはそっちの中継にいきたい」

時間を気にしつつ、連絡を取り合う中、11時25分ごろ嘉アナは具志頭交差点に到着。後輩の沖野綾亜アナだった。

沖野綾亜アナ
「大雅さんすごい!」

到着して30秒後には始まったインタビュー中継。ヘロヘロだったはずなのに背筋を伸ばし、キラキラを飛ばし、爽やかに受け答えをして第一制限地点に再び飛び出した。

しかしここから、彼の地獄が始まった。

具志頭での中継に間に合わそうと、ペースをあげたことで、かなりの負担が前ももにかかっていた。第一制限地点の糸満市摩文仁までは緩いのぼりが続き、多くのランナーがここで心を折られる。

正直、私自身も撮影も相まって疲労がたまっていて、彼を気遣う余裕がなく走っていた。およそ5分後、後ろに彼の気配がないことに気づき振り返ると、その姿はどこにもなかった。

私は歩道に入り、ランナーの波から彼を探す。2分ほどしてからだろうか、うつむきながら辛い表情を浮かべる嘉アナの姿を捉えることができた。

島袋ディレクター
「どうした?大丈夫?」

嘉アナ
「剛さん、速いです。ちょっとここは無理しないで歩いていいですか。足がきつくて」

「歩きたい」このレースで彼の口から初めて出た言葉だった。分かったと私はいい、横に並びながら、これからのレースの想定を相談しながら、ポジティブな言葉をかけつづけた。

嘉アナ
「頑張ります、大丈夫ですよ」

この時の「頑張ります」はこれまでの頑張るとは全く違っていた。覇気がなく、自身なさげな雰囲気が漂っていた。しかしそこには触れず、まずは第一制限地点を12時15分までには通過しようと目の前の目標をたて、時間を計算しながら平和祈念公園へと歩みを進めていった。