4年ぶりにコロナ禍前と同じ規模で行われたNAHAマラソン。出走した1万8874人のうち、完走者は1万3692人で完走率は72.54%。大勢のランナーの笑顔、そして沿道の応援が南部路に響き渡った。
ことしのNAHAマラソン、沿道では1人の人物への声援が各所でこだましていた。
「タイガ頑張れ!」
「嘉さん、応援してるよ、大丈夫、大丈夫!」

沿道から声を掛けられる人物、それはRBCのマラソン中継でランナーリポーターを務めた嘉大雅アナウンサーだった。終始、沿道の声援に笑顔で応え、生中継では前向きなリポートを届け続けた嘉アナ。しかし彼の42.195キロの道のりのほとんどは苦難の連続だった。
大会を盛り上げた嘉大雅アナウンサーの挑戦を随行しながら撮影し続けた私、島袋剛が彼の本当のNAHAマラソンをここに綴る。
きっかけはRBCiラジオのXのフォロワー数
NAHAマラソンのランナーリポーターは主に入社1年目から2年目の若手アナウンサーが担ってきたポジション。一方の嘉アナは入社8年目。そう、彼は新入社員の時に走ることを断っていた。
本人曰く「走るくらいならくるぶしを割る」といい固辞してきたという。ではなぜことし走ることになったのかというと、RBCiラジオのxのフォロアー数が関係している。ラジオ側がフォロアー数1万人を目指すというキャンペーンを進める中、リスナーが「1万人を超えたら嘉アナがNAHAマラソンを走ってほしい」と条件を出したのだ。

これを嘉アナが承諾したことで、リスナーは団結。徐々にフォロアー数は増え、去年の12月24日にフォロワー1万人を達成。公約を果たすべく、嘉アナは元旦からランニング開始し、NAHAマラソンに向け研鑽を重ねる日々が始まった。

こうした嘉アナの様子をラジオ番組を通して共有していくうちに、このマラソン熱がラジオリスナーにも伝播。「自分も走りたい」とNAHAマラソンに出場することを決めたリスナーランナーが50人以上にのぼり、SNS上では『#大雅と共に』とタグをつけて投稿、そして手の甲に黒い星のマークをつけて出走、応援するというムーブメントにつながっていった。