ついにスタート 序盤に待っていたトラブル

ゲストスターターが打ち鳴らす万国津梁の鐘の音と共に一斉に駆け出したランナーたち。マラソン初参加の嘉アナもそのお祭り騒ぎのレースに高揚する気持ちを隠せない様子だった。

嘉アナ
「すごいですね、本当に沿道の応援がすごい。あっ高架橋の上にもあんなに」

スタートして数百メートル、少年のようにキラキラした表情を浮かべた嘉アナ。そのテンションは“奇跡の1マイル”と呼ばれる国際通りに入ってからは更に上がった。

道路全面を埋め尽くすランナーの波に、隙間なく続く沿道の応援。鳴り物や響き渡る声援を感じ、これまで携わってきたNAHAマラソンの中継の1拠点とは全く異なるものを感じていた。

嘉アナ
「去年はこの先の牧志駅で中継していたんですよ。あそこもランナーの波が凄いなと思って中継したんですけど、その波の中に入ったら全く景色が違う。ランナーが楽しいとか“はまる”という意味が分かった気がする」

そしてあのコールが始まったのが、この国際通りからだった。

「あっ、アナウンサーじゃない?」
「嘉アナー、頑張れ完走してよ」
「Aランチ―!!」
「大雅と共にー」

私自身、NAHAマラソンには10年以上携わっているが、過去これほどまでに沿道から声援を受けるランナーはいなかった。沖縄県民にとって嘉大雅というアナウンサーがこんなに認知され、愛されているのかと隣で感じ、少し誇らしくも思えた。

しかし撮影の関係上。私が嘉アナの左側を走り、沿道から彼の姿が見にくかった場面が生まれてしまい、そこは今も申し訳なく感じている。

今回のNAHAマラソンの中継では、スマートフォンのカメラとジンバルという水平を保つ機材を使って、嘉アナの様子を伝えていた。しかし、トラブルが発生したのはYMCAの応援で有名な嘉数交差点。急にこのジンバルがきちんと作動しなくなったのだ。

何度も再起動して立ち上げるものの上手くいかない。嘉アナも足を緩めて不安そうな表情を浮かべていた。そのまま1~2キロほど走っても機材は復活する気配がなく、嘉アナと私は決心した。「機材を使用するのは諦めよう」と。カメラは私が手持ちで、マイクはフォローできる範囲で嘉アナが自ら持ってリポートを届けることにした。

嘉アナ
「剛さん、こんな感じで大丈夫ですか?」

カメラの画角と音の問題を気にしつつ、リポート内容をまとめ、インタビューする嘉アナ。これまでの練習とは比較にならないほど心身にストレスを貯めるきっかけになったのだろう、コースの最初の難所でもある津嘉山の上り坂に差し掛かった時には、すでに疲労を感じている様子だった。

嘉アナ
「今の時刻で、今のペースだと第一制限地点までギリギリです。でも無理して飛ばすと足がもっと厳しくなりそう」

通常のランナーと異なり、彼に課された役割は『リポートしながら完走し、その姿を届ける事』。互いに口にはしなかったが、その覚悟はひしひしと伝わり、ギリギリでもいいので、どうにか完走する方法を考えた。

また機材が壊れたことで中継の機会も当初の予定より減少。放送の中で機材トラブルの説明などできるはずもなく、彼が生放送に登場するためには、固定カメラを設置している中継点に、適切な時間でたどり着くことが求められていた。

嘉アナ
「あー、太ももがやばいかもしれないです」

まだまだ続く坂の途中で、弱音を漏らし始めた嘉アナだったが、それを救ったのがー

ランナー
「大雅さん、僕、大雅さんが走るっていうからエントリーしたんですよ」
沿道の応援
「嘉さーん、嘉さーん」

次々とかけられる声援。それに対して彼のプロ根性を刺激した。

嘉アナ
「ありがとうございまーす!頑張ります!!みなさんも頑張りましょうね~」

さっきまでの弱音、気落ちした様子はどこに行ったのか、やはり彼は根っからのアナウンサー・嘉大雅なんだろうと思った。声援をかけられ、それに応える時、魅力度があがる様子を感じていた。

さらに彼を元気づける1つの出来事があった。