第2期「スーパーカー自転車」
ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ・BB、ポルシェ・カレラ…。
スーパーカーブームは子供たちを熱狂させました。池沢さとしさんのマンガ『サーキットの狼』(少年ジャンプ連載)が大ヒットし、子供たちは「いつかはボクもスーパーカーに乗るんだ」と夢見たものです。

このブームをいちはやく取り入れたのがジュニアスポーツ自転車だったのです。
ここからジュニアスポーツの広告には必ずスーパーカーが登場することになりました。

爛熟していく「スーパーカー自転車」 ①リトラクタブルライト
スーパーカーと言えば「リトラクタブルライト」です。空力抵抗を少しでも減らそうと、ライトを格納するシステム。子供たちは心の底から「カッチョいぃぃぃー!!」と思い、自転車にも当たり前のように採用されました。

爛熟していく「スーパーカー自転車」 ②巨大変速シフター
子供たちが心躍らせたもうひとつは、巨大変速機でした。当時のレース用の自転車変速機というものは、見もせずに指先の感覚だけで、フロントとリアの歯車を選ぶというものでした。しかし、子供にそんな真似はできません。だから、数字を示したシフターでガチッガチッと切り替えていくというメカを備えていたのです。これを「インデックスシステム」といいます。

爛熟していく「スーパーカー自転車」 ③MTシフトボックス
丸石自転車は過激なメカで覇権を狙います。このメーカーはインデックス方式どころか、マニュアルトランスミッションを自転車に装着してしまいました。このシフターはそれぞれのポジションに電極が仕込まれていて、モーターでワイヤーの巻き上げをするようになっていたのです。
子供たちは目を見張って「カッチョいぃぃぃ!!!!」と狂喜したのですが、このシステムは電池がすぐなくなるという致命的な欠陥を持っていました。

ディスクブレーキに、フォグランプに…
PTAが「最近の自転車は高価すぎる」「華美に過ぎる」と眉をひそめたのも確かです。
しかし、子供たちの圧倒的支持と、メーカー各社の競争で、少年用ジュニアスポーツ自転車は、行くところまで行ってしまいました。
ディスクブレーキ、フォグランプ、デジタルスピードメーター……。
そして、ボクらの自転車は宇宙に飛んでいきました。

「終わり」はいきなり訪れました。
ときは1982年。この年こそが、ジュニアスポーツ自転車終焉の年でした。いったいこの年に何が起きたのでしょう。