シンプル自転車「カマキリ」の登場
ジュニアスポーツ自転車に引導を渡したのは、PTAでも不景気でも何でもなく、1台の新型自転車でした。その名はブリヂストンの「カマキリ」。このシンプルな自転車が、年長年少を問わずウケにウケました。

ときは80年代。スーパーカーブームも過ぎていました。カマキリを見た子供たちは「なんかゴテゴテしてるのナウくない」「リトラクタブルライトとか幼稚っぽい」と思い始め、一気にジュニアスポーツ自転車は衰退していったのです。
このカマキリこそが、現代のママチャリに多大な影響を与えたとも言われています。
ジュニアスポーツ自転車が残してくれたもの
ジュニアスポーツ自転車は1970年代を中心に、日本の少年マーケットだけに咲いた奇妙な徒花(あだばな)でした。
しかし、それは必ずしも「壮大なムダ」だったわけではありません。
たとえば「ガチャッガチャッ」のインデックスシステムは、じつは今やプロ用の機材でも当たり前のシステムになりました。極東の島国の少年たちが愛したシステムは、“ツール・ド・フランス”などで、今も最新鋭のシステムとして使われているのです。

それ以外もディスクブレーキの進化やデジタルメーターなど、あの時代の試行錯誤が今に生きている例は多々あります。高度成長の徒花のような子ども用自転車でしたが、現在の自転車界にも大きな足跡を残しているのです。

**資料:疋田智著『だって、自転車しかないじゃない』(朝日文庫)から。
(一社)自転車協会と自転車総合ビル(東京都品川区)におさめられた各社の年代ごとの広告、カタログと、当時のスポーツ自転車雑誌の記述を元にしています。また当時の開発者だったブリヂストン自転車株式会社の渡部裕雄氏(ヒアリング当時)と、株式会社シマノ常務取締役渡会悦義氏(ヒアリング当時)への取材を軸にしました。