「現金化した『10億円』を部下とともに東京・江東区の本店別館で、段ボール3箱に各3億円、段ボール1箱に1億円を詰め、車に積み込んで、元麻布の金丸邸に持参し、金丸さんの長男に渡した・・・・」
現金10億円は、金丸の指示によって、A役員が元麻布の金丸邸に運び込み、長男に渡していたのである。


◆ワリコーの発覚おそれて現金化
そこで特捜部長の五十嵐紀男(18期)は至急、東京拘置所で金丸の取り調べに当たっていた主任検事の熊﨑勝彦(24期)に連絡。岡三証券A役員の取調べ結果を伝え、金丸から「現金10億円」の行方を聞き出すよう指示した。
これについて金丸も認めた。
「妻だけでなく、わたし自身も岡三証券と取引があり、わたしがワリコー「10億円分」を現金化するよう、長男を介してA役員に指示して、元麻布の私邸に運ばせた」
しかし、金丸は、これほど多額の現金にもかかわらず、使途や目的については、あいまいな供述を繰り返す。
金丸は当初、「参院選の軍資金として国会議員らに配りました」と主張した。
これに対し熊﨑は「それでは金を受け取った国会議員全員に聞くことになるが、よろしいですか」と尋ねると、金丸はさらにこう言った。
「台湾政府が金丸文庫という図書館を建設するというのでその資金として台湾に送った」
金丸は荒唐無稽な言い逃れを続けたが、熊﨑も一歩も引かなかった。
「それでは、日本政府を通じて台湾政府に事実を確認しますが、それで先生の名誉に傷がつくことはありませんか」と追及した。
すると金丸は「そういう話はあったのですが、それに備えて、まだ保管していました。保管先は、長男に任せたので長男に聞いてください」と、やっと正直に打ち明けたのだ。逮捕から11日目の1993年3月17日だった。
◆「現金化しておいたほうがばれない」
また金丸は、岡三証券の「ワリコー10億円」をわざわざ現金化して、自宅に運ばせた理由については、こう供述した。
「1992年、東京佐川急便事件の強制捜査が始まり、私が割引債で資産隠しをしていることがばれるのではないかと心配になった。割引債で持っているより、現金に替えて隠しておいた方がばれないのではないかと思い、長男に命じて現金化し、親戚に預けさせました」
つまり当時、金丸は「東京佐川急便」の社長からヤミ献金を受けており、捜査の過程で、保有する「ワリコー」や「ワリシン」などの割引債券が見つかることを、極度に恐れていたという。
政治資金を流用して割引債券を購入し、脱税していたことが発覚してしまうのではないか・・・
割引債券の形で持っているより、現金化しておいたほうが、「選挙に備えての政治資金だった」と弁解できると考えていたからだ。
◆「車で行けるところではないのです」
一方、東京地検庁舎内で金丸の長男の取り調べに当たっていたのは熊崎班の山本修三検事(28期)だった。五十嵐は、熊崎から「金丸供述」の報告を受けると、山本を部長室に呼んで事情を説明し、長男に「岡三証券から10億円を受け取ったあと、どうしたのか」説明させるよう指示した。
ところが、山本からの報告がなかなか上がってこなかったため、五十嵐が山本の部屋に直接出向いたところ、取り調べ室では、長男が「預かってもらった人に迷惑をかける」と言って10億円の預け先を明かすことを拒否していた。
そこで五十嵐は山本とともに長男の説得に当たり、「金丸先生は10億円については、あなたに聞いてくださいとおっしゃった。金丸先生はもう隠すつもりはないと話している。正直に話してください」と金丸の話を伝えたが、長男はそれでも躊躇していた。