事件の時効が過ぎてしまうと、検事は起訴することができなくなる。 もちろん裁判をひらくこともできず、処罰することは不可能だ。たしかに人々の記憶が古くなると、証拠収集が難しくなり、誤った裁判にもつながりかねないとも言われる。

しかし、時効が成立している事件捜査が、ときに本筋の事件を大きく前進させ、強力な支えの役割を果たすことがある。30年前の金丸脱税事件にもこんなことがあった・・・

<全10回( #1 / #2 / #3 / #4 / #5 / #6 / #7 / #8 / #9 / #10 )敬称略>

◆プロローグ

捜査は常に「時効」というタイムリミットとの勝負だ。
金丸元副総裁の脱税事件で、特捜部は金丸がゼネコン各社からのヤミ献金などで不正に蓄財していた約30億円に上る現金や割引債券、それに金の延べ板など押収した。
ただし、所得税法違反には刑事訴訟法の5年という「時効の壁」があり、証拠があったとしても、すべてを事件化できるわけではない。特捜部は最終的に時効が成立していない「1987年以降の不正」に限定して立件せざるを得なかった。

このため、第2回で取り上げた「金丸が熊崎検事に現金10億円を金沢の親戚に預けていると打ち明け、これが金丸本人だけが知り得る、秘密の暴露とも言える重要な証拠となった」との部分。実はこの「10億円」、すでに時効が成立している「1986年分の所得」だったため、起訴事実には含まれなかった。

それにもかかわらず、東京地検特捜部がこの「10億円」の解明にこだわり、執着したのはなぜだったのか。また、金丸が石川県の金沢という遠方の民家に巨額の現金を隠したのはなぜなのか。当時の関係者への取材で、水面下で繰り広げられた「10億円をめぐる攻防」を振り返る。

◆きっかけは金丸夫人

この「10億円」の一つのキーワードが「金丸夫人」である。東京地検特捜部は1993年3月6日、金丸元副総裁を電撃逮捕した当日、「パレロワイヤル」の金丸事務所を家宅捜索。このとき押収した金庫には、「日債銀」ルートの「ワリシン」22億8000万円のほか、金丸夫人が絡む「岡三証券」ルートの11億4700万円が保管されていた。

特捜部はゼネコン各社から金丸元副総裁へのヤミ献金の脱税容疑と並行して、亡くなった金丸夫人から金丸本人への遺産相続についても、捜査を進めていた。
金丸夫人は1991年12月にゴルフ場で倒れて急死した。特捜部の調べによると金丸夫人の資産は、ハワイのコンドミニアム3戸、元麻布の自宅土地建物、岡三証券における株式や割引債券など「約58億円」に上った。このうち金丸は「約54億円」を相続していたことがわかり、特捜部は遺産申告などに注目していた。

ある検事は「金丸夫人はかつて夜の赤坂で働いていた経験もあり、抜群に商才に長けていた。金丸の資産管理をすべて任され、不正蓄財を知り尽くしていたのではないか」と振り返る。またTBSの元政治部記者は「金丸番の記者が元麻布の私邸に夜回り取材に行くと、玄関に入っていいかどうかを金丸夫人が決めるなど、やり手で社交的なイメージだった」と語る。

◆金丸本人も「ワリコー」購入

金丸夫人の蓄財のきっかけはこうだ。1972年に金丸夫人が「岡三証券」新宿支店長だったA役員と取引をはじめたことに遡る。金丸夫人はA役員に資産運用を任せ、不動産取引などで財産を築き、バブル崩壊直前に不動産を処分し、上記の通り「岡三証券」には「ワリコー」、「ワリシン」など多額の割引債券を保有していた。A役員が専務まで出世したのは、金丸夫人を担当して成果を上げたからだと社内では言われていた。1991年12月に金丸夫人が亡くなるまで取引は続く。 

そこで特捜部は金丸夫人の担当者であった岡三証券のA役員を取り調べたところ、金丸本人についても、まず「1986年」に初めて「10億3800万円」の「ワリコー」を購入、続いて「1989年」にも「10億3000万円」の「ワリコー」購入が明らかになった。

A役員は「元麻布の金丸邸に出向き、寝室で金丸夫人から購入代金を受け取った」と裁判で証言している。
このうち、金丸逮捕の3月6日、特捜部が捜索で押収した「ワリコー」は「1986年分」ではなく、「1989年分」であることが判明した。

それでは、押収されなかった「1986年分」の約10億分の「ワリコー」はどこへ行ったのか、大きな疑問が残った。これについて岡三証券のA役員は驚くべきことを供述する。

「金丸さんの長男から『これは父からの指示』と言われ、1992年6月、『ワリコー約10億円分』を現金化した」

さらにA役員の記憶は鮮明だった。