戦争続く祖国へ帰国 約1年取材をした記者は「来日してすぐの頃は、不安ばかりを口にしていた」

山本恵里伽キャスター:
19歳と20歳という、まだあどけなさが残る2人ですが、お姉さんの話の中で「世界の状況は変えられないけど自分の人生は変えられる」という言葉。ここから強さをすごく感じました。

喜入友浩キャスター:
とにかく前に進むんだという意思の強さも感じました。

山本キャスター:
約1年間にわたって姉妹の取材を続けてきたRCC中国放送の栗栖千尋記者に加わっていただきます。姉妹の大きな決断を近くで見ていて、どんなことを感じましたか

RCC中国放送 栗栖千尋記者:
2人は本当にどこにでもいる20代の子たちでした。来日してすぐの頃は、不安ばかりを口にしていたんですが、最終的には「将来は自分たちで変えるしかない」という考えにたどり着いたんじゃないかなと思います。

ただ、日本を離れる日の朝、姉のファジリャさんは「やっぱり帰るのが少し怖い」と母のエディエさんに打ち明けたそうです。彼女たち自身も、自分たちの決断が正しいものかどうかがわからなくて「将来に向けて歩みを進める時間」と「戦争中の街で、これから暮らす」という恐怖の中で揺れていたんじゃないかなと思います。

山本キャスター:
「いつ」「どこで」「何が起こるかわからない」戦火の街に戻るのは、怖くないはずないですよね。

RCC中国放送 栗栖記者:
お母さんのエディエさんから聞いた話では、キーウでは今、空襲警報が鳴ったらバスがその場で停車して、乗客が急いで近くの安全な建物に駆け込むとか、外出するときには必ず自分の血液型を書いた紙をカバンに入れておく。そういった生活がこれから待っているんだと話していました。

喜入キャスター:
大変な状況ですよね。2023年の5月にウクライナ避難民の方に取材をした時に、ウクライナにいる家族の方と電話をされた時に、涙をポロっと流してる姿を見て、本当に恐ろしいことが起こっているんだ。そして確かに“そこに心の傷があるんだ”ということを肌で実感しました。