「ワリシン」はどこに・・・
今から30年前の1993年3月6日は、筆者の脳裏に刻み込まれている。「政界のドン」として君臨していた金丸元自民党副総裁が、東京地検特捜部に電撃的に逮捕された日である。
その日、検察庁のある東京・霞が関は、静かな土曜の朝を迎えた。事件のカギを握る生原元秘書は、午前中から東京地検に出頭、吉田検事による取り調べを受けた。生原元秘書は午前中は容疑を否認していたとされるが、午後になってようやく話をはじめたという。
金丸の指示で「ワリシン」を購入していたことを正直に認めたのだ。この「生原供述」は、特捜部長の五十嵐に伝えられ、五十嵐から、金丸本人の取り調べを続ける熊﨑に伝えられた。
<全10回( #1 / #2 / #3 / #4 / #5 / #6 / #7 / #8 / #9 / #10 )敬称略>
金丸本人は、午後1時前から議員会館近くの「キャピトル東急ホテル」のスイートルームで主任検事の熊﨑勝彦検事の取り調べを受けていた。となりの部屋には金丸の付き添いの検察OBの弁護士が控え、しばらく雑談が続いてるような気配を察して「そろそろ連れて帰ってもいいか」などと牽制していた。
膠着状態が続いていた午後2時半頃、熊﨑に、五十嵐特捜部長から「生原元秘書が自供した」との連絡が入った。そして熊﨑は一気に金丸を攻め込んだという。
金丸は最終的に「ワリシン」を購入したのは自分の指示で、「私的な蓄財」として隠していることを「全面自供」したのである。流れが決まった瞬間だ。

熊﨑は金丸を東京地検に連行し、午後6時3分、所得税違反容疑で逮捕状を執行した。そして2人を乗せた検察の車は地下2階から出発し、首都高速6号向島線で隅田川沿いを走り、葛飾区・小菅にある「東京拘置所」の門を静かにくぐった。もちろん「東京拘置所」の前にマスコミの姿はなかった。
特捜部は金丸逮捕に先行して、金丸が「巨額の不正蓄財」を隠しているとみていた「パレロワイヤル」の金丸事務所への大掛かりな家宅捜索に着手していた。
しかし、ここでたったひとつの「予期せぬ出来事」が起きた・・・
