78年前の沖縄で、アメリカ軍を相手にゲリラ戦を展開した10代の子どもたちがいた。TBSテレビの戦後78年特番「つなぐ、つながるSP 戦争と子どもたち 2023→1945」(8月12日(土)午後3時30分放送)では、俳優の秋元才加さんが元少年兵の1人を取材。「10人殺したら死んでもいい」上官の言葉に何の疑問も持たず、爆薬を背負いジャングルに潜伏した当時16歳の少年が、78年後のいま、思うことは。

「怖いという言葉は口から出ない」

7月下旬、沖縄本島北部の大宜味村。小さな公民館の扉をあけると、杖をつきながら、礼儀正しくお辞儀をする男性がいた。瑞慶山良光さん(94)だ。

瑞慶山さんが16歳だった1945年、54万人ものアメリカ軍が沖縄に侵攻。迎え撃つ日本軍は10万人に過ぎず、軍は兵力を補うため、子どもたちを動員した。当時、青年学校に通っていた瑞慶山さんにも声がかかった。

秋元:
赤紙とか、お知らせが来たのですか?

瑞慶山さん:
役場の兵事係の人が召集令状を出すんです。でも、不公平なことをやっていたんです。兵事係の子どもは召集しない、と。

秋元:
え?全員が召集されるわけではないんですか?

瑞慶山さん:
兵事係が決めているんです。自分の子どもはやりたくない、行かせない。親戚も行かせない。

秋元:
これは不公平でしょ、と言える時代ではなかった?

瑞慶山さん:
そんなこと言ったら首を切られるから。警察に捕まるからね、「国賊」だといって。

瑞慶山さんが配属されたのは「護郷隊」。スパイ養成機関・陸軍中野学校の出身者たちが編成した部隊だ。15歳から18歳の地元の少年を中心に組織され、主な任務は、地の利を生かしたゲリラ戦により敵をかく乱させることだった。

入隊が決まり学校に集められると、すぐに訓練が始まったという。

秋元:
どんな訓練だったのですか?

瑞慶山さん:
四つん這いになって、ほふく前進。鉄砲を腰の上に上げて肘で歩く訓練。そうしてアメリカ軍の兵隊が眠っているところまで辿り着いて、爆薬に火をつけて一緒に吹っ飛ぶんだ。

杖を使って訓練を再現する瑞慶山さん

秋元:
一緒に吹っ飛ぶ?

瑞慶山さん:
爆薬と共に破裂する、自分も。死にに行くわけだよ。四つん這いになって、肘の皮がむけて血が出るんだ…。

瑞慶山さんが命じられたのは、爆薬を背負い戦車に体当たりする「斬り込み」。命が助かる可能性はほとんどない、無謀とも言える作戦だが、当時は上官の命令に何の疑問も持たなかったという。

瑞慶山さん:
「10人殺したら死んでもいいよ」とか「戦車1台壊したら死んでもいいよ」とか(上官から言われていたことは)これだけだからね。怖いという言葉は口から出ないですよね。だって、「戦に出て怖い馬鹿がいるか!」と叩かれる、殴られるわけだから。