生きるか死ぬか・・・ジャングルに掘った穴に2か月潜伏

瑞慶山さんは、当時潜伏していた場所に似ているという、山道を案内してくれた。

瑞慶山さん:
こっち、音が聞こえるじゃないですか。

秋元:
川が流れてる。

瑞慶山さん:
川の流れ沿いに、僕たちの陣地があったんです。

秋元:
けっこうな斜面で・・・もう、ジャングルっていう感じですけど。

敵を迎え撃つため、森の中に小さな穴を掘り、じっと息を潜めていたという。

秋元:
どれくらいの期間、潜伏していたんですか?

瑞慶山さん:
恩納岳にいたときは、2か月ですね。

秋元:
食べ物は?

瑞慶山さん:
炊事して、玄米でおにぎり作ったり。それと、水とお湯とかね、粉味噌とかそういうおかずをね。

1人で偵察中にアメリカ兵と鉢合わせ、死を覚悟したことも。

瑞慶山さん:
30人くらいの米兵と正面衝突して…。その時、僕は水の中に隠れたんだ。水たまりにつかって、手りゅう弾を口にくわえて。(相手が)弾を撃ち始めたら、破裂させて死ぬつもりだった。

秋元:
生きるか、死ぬかという…。

瑞慶山さん:
(米兵と)25メートルしか離れていなかったから。手がブルブル震えて、鉄砲を水たまりに落としてしまったんだ。もう驚きすぎて、気絶して・・・動けなかった。

恐怖のあまり気を失ってしまい、気が付くと米兵はいなくなっていたという。

瑞慶山さんが命の危険を感じた瞬間はこれだけではない。えくぼのようにもみえる右の頬の凹みは、戦場で負った傷痕だ。

瑞慶山さん:
手りゅう弾が当たって、破片を自分で噛んだわけ。それで右側の歯が4本折れたんだ。

秋元:
斬り込みに行く途中に?

瑞慶山さん:
斬り込みに行く前にやられて。失敗して。

同行していた中隊長がイノシシを仕留めようとしたところ、米兵に気づかれ、投げ込まれた手りゅう弾の破片が瑞慶山さんの右の頬に直撃したという。

大けがを負った瑞慶山さん。その後は負傷者を運んだり、遺体を埋葬する作業に駆り出された。その中には、親戚や仲間もいた。

瑞慶山さんの同級生の名前が刻まれた慰霊碑

秋元:
戦争がなかったら、普通に毎日を過ごしていた少年たち。

瑞慶山さん:
気が狂ってしまうんだ…。なんで日本の軍隊はこんな不公平なことをするのかなって、考え込む。なんでこうなったのかと。

およそ1000人の護郷隊員のうち、実に160人が命を落とした。