「ガ死ダ食モノナシ」
ある日本兵が戦場で遺していたのは、自分が餓死していく様子を克明に書いた日記でした。
優しい一人の父親が極限の状況でも伝えたかったこと。それは、愛する家族と、未来へのメッセージです。
■妻と一人娘を残して戦場へ…夫が残した絵

長野県・上田市にある美術館、「無言館」。戦争で亡くなった美術学校の画学生たちの絵が展示されています。
そのなかのひとつ…優雅に水を飲む、馬たちを描いた絵。

この絵を描いた川﨑雅さんは、日展(当時は「帝展」)に入選するなど、将来を嘱望されていました。
結婚して2年足らずの1943年、雅さんは、妻と一人娘を残して戦場へ向かい、帰ることはありませんでした。

彼が命を落としたのは、フィリピンのルソン島。20万人もの、日本兵が死亡した島です。
これほど死者が多かった理由について、日本軍の有末精三中将は、戦後「ルソン島では大部分の部隊は栄養失調者を続出した」と振り返っています。
川崎さんの妻・文子(ふみこ)さんは、雅さんの絵に囲まれながら暮らしています。

「雅さんもルソン島で栄養失調に苦しんでいた」と、帰還した戦友が文子さんに証言しています。
文子さん
「そのときは生きていたらしいんですよ。だけども栄養失調で。川崎さんが『もう歩けないから君たちどうぞ先に行ってください』とおっしゃったって。それで僕たちは先に行きましたって」
「戦死じゃないんです。もう全部餓死、餓死です。もうほとんどの人が鉄砲なんか誰も撃たない。みんな負け戦でね。餓死なんですよ。栄養失調でみんなのたれ死に」
兵士たちを待っていたのは過酷な戦場でした。